I.W.ハーパーは、アメリカのバーボン・ウィスキー。一人の移民によって作り上げられたI.W.ハーパーは、アメリカン・ドリームを象徴するかのようなお酒です。 |
スペック |
【生産地】 アメリカ、ケンタッキー州 【生産者】 へヴンヒル |
移民の夢 |
ドイツ系移民 |
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I.W.ハーパーを生み出したのは、ドイツ系移民のアイザック・ウォルフ・バーンハイム。
アイザック・ウォルフ・バーンハイムは、1867年にドイツからアメリカに移住しました。
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兄弟商会 |
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移住から5年後の1872年、I.W.バーンハイムは弟と共にケンタッキーにてウィスキーを樽売りする会社「バーンハイム兄弟商会」を興します。
バーンハイム兄弟商会は、主力商品となる「I.W.ハーパー」を設立3年目の1875年に売り出します。
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二人のハーパー |
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I.W.ハーパーという名称の「I.W.」の由来は、もちろん創業者I.W.バーンハイムのイニシャルから。
説の一つは、営業員トーマス・ハーパーに由来するというもの。
もう一つは、I.W.バーンハイムの親友である、馬主兼ブリーダーのフランク・ハーパーに由来するというもの。
それ以外にも、ヴァージニア州のハーパーズ・フェリーに由来するという説などもありますが、実際のところどうであったのかはI.W.バーンハイム本人も明らかにしていません。
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アメリカン・ドリーム |
ゴールド・メダル |
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I.W.ハーパーは、1885年のニューオリンズ万国博覧会で金賞を受賞し、国際的にも高い評価を受けるようになります。
自社の蒸留所を持つのは、1888年に既存の蒸留所の株を取得してからのこと。
そして1900年には、パリ万博でまた金賞を受賞。
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大戦の終わり |
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20世紀に入り、アメリカでは禁酒法が施行されましたが、I.W.ハーパーは医薬品としての指定を受けることで製造を続けることが出来ました。
第二次世界大戦においても、一般のバーボンは生産が中止されていましたが、I.W.ハーパーは軍需物資として例外扱いされました。
そうした時代の変化の中、I.W.バーンハイムは1915年のサンフランシスコ・パナマ・パシフィック博覧会での金賞受賞を契機に、早くも経営から退いていました。
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I.W.ハーパー |
I.W.ハーパーの製造 |
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アメリカのバーボン・ウィスキーは、原料のトウモロコシは含有率51%以上と法律で定められています。
I.W.ハーパーを製造するバーンハイム蒸留所は、1937年にシェンレー社が買収し、その後にイギリス資本(UD社、1987年)を経て、現在はへヴンヒル社に経営が移行しています。
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I.W.ハーパーの味わい |
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I.W.ハーパーは、上品な甘さとコクのある、飲みやすいウィスキーです。
【ゴールド・メダル】 スタンダード版としてのI.W.ハーパー。 6年以上熟成で、軽く心地よい口当たり。 【101プルーフ】 強い口当たりとスパイシーさが特徴。 101プルーフは、「アルコール度数50・5度」を意味しています。 【12年】 長期熟成を経た、スムーズでなめらかな味わいをもつ酒。 それまで4年程度の短期熟成が定番だったバーボンとしては異例の12年ものとして、1961年に販売されました。 【プレジデント・リザーヴ】 長期熟成した原酒を厳選して製造する高級版。 |
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