現在では世界5大ウィスキーの一つであるジャパニーズ・ウィスキーを誕生させたのは、サントリー創業者の情熱でした。サントリーのウィスキーを代表する「山崎」「響」は、世界最高との評価を受けています。 |
スペック |
【生産地】 日本、大阪・山梨 【生産者】 サントリーHD 【参 考】 「シングルモルトウイスキー山崎」、 「響 ウイスキー」 |
鳥井商店の洋酒 |
奉公人鳥井信治郎 |
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現在「ジャパニーズ・ウィスキー」と呼ばれるウィスキーを作り上げたのは、現サントリーHD創業者の鳥井信治郎です。
1899年、20歳になった鳥井信治郎は早くも独立し、様々な舶来品を扱う鳥井商店を設立します。
店の屋号を「壽屋」に変えた鳥井信治郎は、1907年に日本人の舌に合うワインとして「赤玉ポートワイン」を発売。
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鳥井信治郎とイミテーション・ウィスキー |
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壽屋が赤玉ポートワインを売り始めた頃。
ウィスキーの魅力と奥深さに気づいた鳥井信治郎は、日本で最初のウィスキーを造ることを決断します。
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壽屋のウィスキー |
「見わたせば、山もとかすむ水無瀬川」 |
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大正時代の日本人にとって、ウィスキーはまだ知名度もなく、特有のスモーキー・フレーバーもただ煙臭いものにしか感じられませんでした。
1923年、京都郊外の山崎の地に、壽屋の最初の蒸留所が建造されました。
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「舶来盲信の時代は去れり」 |
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蒸留所建造から5年後の1929年、壽屋は日本初のウィスキー「サントリー」を発売します。
こうした努力は、1937年にウィスキー「サントリー12年もの角瓶」の発売したことで、ついに実を結びます。
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ジャパニーズ・ウィスキー |
戦災と復興 |
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大衆向けウィスキーで成功したのも束の間、日本は第二次世界大戦へと突入し、世相は一変します。
終戦を迎えると、戦火を免れた山崎工場と、避難させておいた大量の原酒を元にして、ウィスキー事業を再起。
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鳥井信治郎とジャパニーズ・ウィスキー |
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1961年、壽屋のウィスキーは遂にアメリカで初の「ジャパニーズ・ウィスキー」として認定されました。
夢を実現した鳥井信治郎は、その年の年末に肺炎に臥せりました。
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シングル・モルト・ウィスキー「山崎」 |
1984年、「山崎」発売 |
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鳥井信治郎の逝去の翌年、二代目の佐治敬三は壽屋の社名を「サントリー」に変更しました。
順調な発展を遂げるサントリーが、1984年に満を持して発表したのが、「山崎12年」でした。
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「寿」の山崎 |
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山崎のラベルの字は、二代目佐治敬三の手によるもの。
山崎12年は、2003年に世界でも権威ある国際酒類コンテストISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)でのウイスキー部門で、日本のウイスキーとして史上初の金賞を受賞しました。
【山崎10年】
【山崎12年】
【山崎18年】
【山崎25年】
【山崎35年】
【山崎50年】
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ブレンデッド・ウィスキー「響」 |
1989年、「響」発売 |
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創業90周年を記念して1989年に生み出されたのがウィスキー「響」です。
響の原酒は、平均酒齢19年という長期熟成モルト。
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「人と、自然と響きあう」 |
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響のボトルは、時や季節(節気)を表す24面カットで構成されています。
響30年は、2004年にISCで全酒類部門の最高賞であるトロフィーを獲得しました。
【響12年】
【響17年】
【響21年】
【響30年】
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